旅行記一覧

「私の能登物語 My Story in 能登」あなただけのとっておきの能登ストーリー。ご応募いただいた皆様の旅行記をご紹介しています。

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2011年08月11日

「海」子どもの頃、私にとっての「海」は能登の「海」でした。
海=能登 デビューは1歳8ケ月。
私の産まれる前から我が家の家族旅行は毎年、夏に「川浦」へキャンプへ。
数家族、何十人でキャンプをしたこともあった。

お父さんに木と木の間にハンモックを作ってもらった♪
波の音、風が吹くと最高に気持ちよくスヤスヤ昼寝♪

みんなで野外のウノ大会(笑)

市場で新鮮な魚介類を買ってきてボウルいっぱいに作ったイカソーメン。みんな食べすぎで最後は「もういらない・・・(苦笑)」って。
両親は私のうきわに長いロープを付け、ロープの先は両親の足に。私は海の中、両親は浜辺でお昼寝。ロープいっぱい沖へ行くと両親の足のロープが引っ張られ、両親はロープをたぐって私を浜辺へ。私はまた海の中へ!両親は昼寝♪この繰り返しが楽しかった♥

中学に入ってうちに家族が増えた!愛犬のダックスフンド「りっぷ」「めい」この2人も産まれてから毎年、能登へ!

卒業後、私は東京に上京し数年、いろいろ人生の勉強をして地元へ帰ってきた。子どもが家を離れてからも両親、愛犬は相変わらず毎年、能登へ!

帰ってきてからはまた私も家族と一緒に能登に行った。
久しぶりに行った能登はキャンプ場がなくなってた。さみしかった。思い出の場所が無くなって・・・。

次の年、私は彼氏と2人で能登へ旅行に行った。彼氏も能登を凄く楽しみ、お気に入りになったみたいだった。旅行から帰ってきて2ケ月後また彼氏と再び能登へ旅行。

思い出のキャンプ場が無くなっても私は「家族」「彼氏」大切な人たちとまた新しい思い出を作りたいって思った。

28歳・・・先月、私は結婚した。もちろん相手は能登大好きな彼。そして今月、私は夫婦になって初めての能登旅行に行く。もちろん、子どもができたら毎年、連れて行きたい。両親の様に・・・。

岐阜県 ペンネーム HARUNA。T様

【事務局評】
HARUNA。T様の海デビューは1歳8ケ月、初めて見る海にドキドキしたんでしょう♥
私の姪が海デビューしたとき、海を見て一言「プールだぁ!」と言ったのを今でも覚えています!海=能登。ご夫婦になって初めての能登旅行には、もう出発されたでしょうか。HARUNA。T様のご両親のように大切な人たちとまた新しい思い出を作りに能登へいらしてくださいね。

2011年08月03日

能登の新しい誇り「世界農業遺産」

一、 千枚田との出会い、歓声の一瞬

「わぁ!写真より規模が大きい」
「海辺まで棚田が続いている!」
白米千枚田と標識のあるポケットパーク展望台に立ちすくみ、180度に広がる視界に目を見張った。
 6月中旬、梅雨の晴れ間に恵まれた。能登の生活習慣では「弁当忘れても、傘忘れるな」の格言があるとか。この日に限って、緑の半島。紺碧の日本海。変化に富む海岸道路から、七つ島も手に取るように見えた。山腹から海に至る千枚全ての幾何学模様の棚田のあぜ道を確かめるようにくだる観光客は、蟻の行列のように見える。


二、日本および先進国での認定第一号

 能登訪問の契機は、石川県東京事務所が与えてくれた。予備知識を得ようと窓口を訪問したところ、直近の地元紙二紙の情報が入手できた。「四市四町の里山里海が、国連食糧農業機関の世界農業遺産に登録認定」とある。世界九番目で、日本および先進国第一号という。新潟・佐渡市の「トキと共生する里山」も同時認定された。能登の場合、農産品、農漁業技術、自然景観、文化芸能など伝統的地域資源が認められたのだろう。


三、世界遺産の氏名は保全だけではない

 同じころ、国連ユネスコは、岩手平泉を世界文化遺産、東京小笠原諸島を世界自然遺産にそれぞれ登録認定した。世界遺産は、何世紀にもわたる地域資源を次世代へ継承する責務がある。
 能登の象徴、千枚田については、すでに国県の名勝指定やオーナー制度も整備ずみだ。さらに全域の能登ブランド化や観光資源化など地域の総力を挙げた民間・行政の取組みが期待される。
登録認定直後の能登路の旅に感謝したい。(完)

埼玉県 ペンネーム いしいあきら様

【事務局評】
能登の里山・里海が世界農業遺産に認定され、能登ファンの方から祝福の声を耳にし、嬉しい気持ちと同時に、いしいあきら様もおっしゃるように次世代につないでいく責務に背筋が伸びる思いです!
能登空港夏の特別キャンペーンのポスターやチラシにも掲載している「白米千枚田」の稲刈りは9月25日には終わるそうです。また10月8日(土)には千枚田の畔道に灯りをともす「輪島・千枚田あぜの万燈」が行われるそうです。あまり目にすることのできない光景です。ぜひまた、違った季節の能登へもお越しくださいね。

2011年08月02日

震災の中でのふれあい

 2007年4月、私は自転車で関西を回る一人旅をして回っていました。福井県滞在中、能登半島地震のボランティア募集を知り、問い合わせをしたところ送迎バスが出ているということでした。
 それから金沢まで行き、電車に乗り込み集合場所近くの宿に泊まりました。早朝、集合場所に行くと、たくさんの人たちが集まっており、バス4台に乗り込み目的地に向かいました。向かう車中から地震の傷跡を感じながらも、着いてから目にしたものは、全壊・半壊の家、亀裂が入り通行止めになった道路など地震の激しさを痛感しました。

 作業はグループに分かれて、がれきの回収・分別を行いました。
そんな中、能登の人々はボランティアスタッフを見かけるたびに「本当にありがとうね。」と声をかけておられたり、「元気ださないと」と言って、バナナを配っておられました。被害にあって大変なのは住民の方々のはずなのに、笑顔であふれ優しさをわけてくれました。
 私は、あと数日手伝いをさせてもらいたいと事務局の方に宿泊施設を尋ねると、現在そういった案内はしていないということでしたが、「じゃあ私たちが泊っているところに泊るといいよ」と、事務局でボランティアをしている方が声をかけてくれました。

 夕方、みんなで車に乗り、買い出しをしたり、銭湯が開放されたから入りに行こうなど、3日間、一緒に過ごしました。
みなさん、日本全国から集まっておられ、阪神大震災でいろいろ助けてもらったからと恩返しに来たという方がおられたり、災害があればどこでも飛んでいくという方がおられたりと様々でした。
 能登滞在最終日、ある家にがれきの回収をしに行きました。
帰り際、「お茶でも飲んでいってくれ」と言われ、もう一人のボランティアスタッフとお茶をいただきながら、「また元気になった能登に来てね。そして、来た時はいつでも連絡してね」と連絡先を交換しました。

 数日後、自転車で岐阜を走っていると能登で連絡先を交換したM氏から電話があり「この間は、ありがとう。元気でやってるか。」と心配してくれていた様子で、気をつけてなと言葉をいただきました。
 M氏をはじめ、能登で出会った人々は辛さなど一つもみせず、笑顔と優しさをふるまっておられ、人の温もりや縁というものを感じました。
自転車での旅を終えた後も、M氏との連絡のやりとりは続いており、ぜひ元気になった能登に行きたいなと思っています。

大阪府 須上様

【事務局評】
2007年3月の能登半島地震では、多くのボランティアの方々が能登へ来て下さり、多くの勇気を力をもらい助けられました。
震災復興のボランティアはもちろんですが、能登へ観光に訪れてくれることも嬉しかった、ありがたかった、復興への力となったという声を耳にします。
能登空港は応援します!東北!ぜひまた能登を訪れてみてくださいね。M様をはじめ、能登で出会った方々と再会できるといいですね!

2011年08月01日

能登はやさしや土までも

「ひどい渋滞でしたね。到着も遅れそうね。」
「そうですね。1時間ぐらい遅れることになりそうですね。」
恵子は従姉とバス運転士との会話で眼をさました。夕刻の兼六園下から輪島へのバスに乗りこんで、席に着いた直後、眠ってしまったらしい。昨夜、遅い便で東京から着き、今日は一日金沢市内を歩き回ったのだ。時計を見ると、すでに乗車後1時間は経過している。なのにバスはやっと金沢駅を背に走り出したところだった。

先ほどの従姉の言葉は、市内の渋滞で既に相当な遅れがでていることを言っていたのだ、と思いつつ、恵子は心地よい揺れと昼間の疲れで再び眠りこんだ。
次に目覚めたとき、バスは輪島駅前ふらっと訪夢に到着するところだった。
さっさとバスを降りた従姉に続き、料金を支払おうとして恵子は小銭を取り落とした。運転士が席を立って拾ってくれた。その100円玉を料金箱に入れようとして また取り落とした。指も寝ぼけているらしい。先ほどは運転席の下ですぐに見つかった100円玉だが今度はどこへ入り込んだのかなかなか見つからなかった。
外では従姉とホテルの送迎バスの従業員が不審顔だ。これ以上待たせるわけにはいかない。とうとうあきらめて、改めて100円玉を取り出して支払をすませた。

宿は夕食の時間もとうに過ぎ、遅刻を詫びる二人にフロントは親切だった。食事前の入浴をすすめてくれたが、1時間も遅れたのだから流石に長風呂を楽しむ訳にはいかない。さっさと上がり、食事場所へとロビーを急ぐ二人にフロント係が走り寄った。
「お客様、バス会社の方が・・」
彼が指し示す方向に先ほどのバス運転士が立っていた。
「100円、バスの掃除で見つけました。お返ししようと思って。」
恵子の手に一度はあきらめた100円玉が帰ってきた。

夕食を食べながら恵子はしみじみ振り返った
「なんて真面目で正直な、本当に日本人だよね。前にパリでアイスクリームを買おうとしてコイン落とした時、アイスのケースの下に入っちゃって、売り子に聞いたのよね。この下に入ったお金で売ってくれないか、って。そしたら売り子はそのケースの下を掃除するのはいつだかわからないし、自分が拾えるかどうかわからないわ、って。だから改めてお金を払ったの。」
従姉がつぶやいた。 「能登はやさしや土までも。」

千葉県 ペンネーム Noriko様

【事務局評】
心がほっこりと温かくなりますね!
能登は山・海の幸などの食や自然・温泉なども魅力ですが、何より「人」です♥
先日、東京で能登空港応援隊結成式があり、地元のMROニュースで取り上げられました。その放送の中で記者の方が「能登のどこが好きか?魅力か?」と尋ねた問いに対して、応援隊の方が「能登の人がいい」とコメントしていたのを思い出しました!ぜひまた能登へいらしてくださいね。羽田空港から能登空港まで60分です!

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