トップページ
> 能登半島北前船ものがたり
提供:PHP研究所「歴史街道」
本文を読む→
石川県、能登半島。
日本海に大きく突き出すその地理的条件ゆえ、
古くから日本海の交通の要所として、経済や文化の交叉点となってきた。
そして能登の海運を担い、繁栄をもたらしたのが江戸時代の「北前船」である。
日本海航路が、能登半島に残した文物や町並みを辿りつつ、北前船に海洋の民、能登人(のとびと)たちが託した夢を追っていこう。
本文を読む→
かつて、日本海側が「表日本」と呼ばれ、交易によって栄えた時代があった。
能登の北前船主たちは、海運業で巨万の富を築き、寄港地は大いに賑わったのである。
そして、北前船がもたらしたのは交易品だけではなかった。
大庄屋であり、北前船を五艘も所有していた上時国家と、船で全国のネットワークを組織した曹洞宗(そうとうしゅう)大本山・總持寺祖院。
能登の北前船の二つの拠点を通して見えてくるものとは。
本文を読む→
2007年3月25日、震度6強の地震が能登半島を襲った。
ニュースでは輪島市門前町を中心に、大きな被害の様子が伝えられる。能登の人々は、そして北前船がもらたした文化はどうなってしまったのか。
しかし、震災の翌日に向かった能登では、「輪島塗」の職人や朝市の人々が、前と変わらぬ様子で仕事を続けていた。
本文を読む→
福浦(ふくら)と黒島(くろしま)。
能登において同じ北前船で繁栄した町であっても、その成り立ちや特徴は、港の有無によって大きく異なるという。
では、どんな点が違うのか。
また、「能登半島地震」で特に大きな被害を受けた黒島は今、その面影をとどめているのか。
二つの町に残された北前船の遺産、人々の姿を通して見えてきたものとは。